twitter facebook お問い合せフォーム

「尖がってること」と「丸くなること」。

社会人以降で輝く!!
2017-06-27

 人間誰しも、自分の中に引き出しを持っているんだけど、「引き出しの数」という意味で言うと、学生や第二新卒のような若い層の人は、引き出しはまだまだ少ないものです。      生意気で青臭い若者は、よく理屈をこねたがるし、議論を吹っかけたがります。理屈を言ったり議論をしたりするのって、結構なエネルギーが必要なんだけど、若者は平気で議論をすることが多い。自分のこと、将来のこと、友達のこと、などなど。        年を取ってくると、だんだんと理屈を言ったり議論したりする機会は減ります。仕事のプレゼンや会議はあるけれど、仲間などと議論し合うことは減ってくる。若い時期に比べて、エネルギーが不足しているという訳ではないけれど、とにかく減ってきます。        理屈を言ったり議論をしたりすることができるのは、少なくとも自分では正論だと思っているからです。正しいと思うから理屈も出る訳だしね。正論というのは、あくまで自分サイドの見解なんですが、だからこそアツくなる場合もある。        確かに正論は間違っていないかもしれません。でも一般論で言うならば、正論っていうのは、社会的な経験値の乏しさの産物である・・・と僕は考えています。社会的な経験値が乏しく、物事を判断する引き出しが少ないから、正論の「正」の部分が広い訳です。「正」の部分が広いのは、大人より若者の方。だからお互いの「正」の部分がぶつかりやすく、理屈を言い合ったり、議論をしたりという場が多くなるんですね。        経験値を積んだ引き出しが多い大人からみれば、若者の「正」の部分には、社会では通用しない事項が含まれていることが容易にわかります。だから大人としては、若者の意見を聞いても最後は、まだまだ青いなとか、尖がってるな、って結論に持ち込む訳です。        逆に若者からみれば、そんな大人は、世間に飲み込まれてすっかり丸くなってるなあ・・・という大人に対する失望感を抱くことがありますね。尖がってる若者からすれば、丸くなることは自分の「正」の部分を切り捨てていく、言ってみれば負けの象徴のようなもんだからね。若者にとって負けの象徴の最たるものは、平凡な人生を歩む、サラリーマンです。        「尖がってること」「丸くなること」。この2つは常に相反して反発しあい、決して交わることはありません。だから若者は大人のサラリーマンに嫌悪感を示すし、大人のサラリーマンは、最近の若者は・・・って嘆く訳です。        でも、若者が尖がっているのは、正論の「正」の部分が広いからだと認識すれば、そして大人が丸くなるのは、引き出しが増えて、物事を判断する材料が増えたからだと認識すれば、どうでしょう?        少なくとも僕は、そういう目で若者を視て接するようにしています。ぶっちゃけ理解できないこともたまにはあるけど、決して否定はしないというスタンス。否定してしまったらそこで全てが止まってしまうからね。若者に媚びることはしないけれど、まずは肯定から入るようにしています。大人だってそういう姿勢で若者と接した方が、自分の引き出しがより広がると思うんです。        逆に若い人も、大人の世界で幸せになるには、引き出しを増やすことが不可欠。つまり丸くなることが、最終的には自分の居場所を確保したり、自分の存在を周囲に認めさせることなんだという意識を持ちましょう。大人って、丸くならないと、引き出しは増えないからね。それが魅力的な大人になることにつながります。        ・・・って、あくまでも僕個人の見解です。異論反論あると思いますが、ここは僕のブログなので、ご容赦のほど(笑)。  

あ、ちなみに今回の記事と同様のことを、5年前くらいに書いたことがあって、当時はなかなか好評でした。       → 「こちら」  

▲PAGE TOP