twitter facebook お問い合せフォーム

シリーズ 26  会社サイドから視る「自己分析」 ~過去の掘り起こし⑤

自己分析を知る
2016-12-07

自己分析を知る

   高校時代までって、意外と僕のような価値観を持ってる人って多いんですよね。そして大学に入って、時間の使い方が一変して、例えば、「大学に入って遊びまくる!」っていうのも、非常に理解できます。それが正しい大学生だとも思いますね。時間の使い方がこれほど多岐に渡り、生き方も様々なんだって知る時期とかぶるからね。高校から大学への節目は、人生観形成の起点でもあります。    誰しも、高校から大学に変わったときって、自分の引出しが劇的に増える時期だし、それが成長なんだとも思います。僕も高校から浪人、そして大学と移行していく中で、考え方に変化が出てきます。    浪人中は、広島という、僕にとっては大都会に住むことになりましたが、予備校の寮にいたということと、全ては、大学に入ってから、と考えていたので、初めての都会の刺激には触れずに過ごすことができました。門限も8時だったしね。ここでも優先事項は、勉強だったかなあ?でも、勉強のペースとかは、自分で設計しながら自分で主体性を持って出来たので、勉強以外で得ることも多かったですね、今考えると。しかし、浪人時代に得たものがあるなんていうことは、学生時代にも考えませんでした。38歳の今だから、あらためて思えることです。 ちなみに、浪人時代は、何が一番嫌だったかというと、もし新聞沙汰になるようなことになったら、「無職」って紹介されるのかなあっていうことです。   浪人中に得た価値観で、その後に悪影響を及ぼしたのは、「意外と、世の中の受験生って、そんなに大したヤツいないなあ」という考えでした。高校の頃は、クラスの仲間が、みんな成績良かったし、3年間も一緒にいると、だいたい試験の結果も、自分の“定位置”が決まってきます。僕は中から下でしたから。でも浪人すると、それこそ、ピンからキリまで色んなヤツがいます。だから浪人中の成績は、文句なく良かったです。志望校に関しても、偏差値的にはそんなに飛び抜けて高い訳でもなかったし、まあ普通にやってれば、楽勝って感じ。    今思えば、本当に自己中の考えだし、世の中の仕組みを判っていなかったと、恥ずかしいですが、予備校だって学校法人といいつつ、継続しなければいけない。当然ながら収益は必要。お客様である浪人生のモチベーションを下げないように、1年間モチベーションをキープして、自信を持って受験させるためには、あの手この手を使います。偏差値だって冷静に考えれば、浪人生は良くて当たり前。    まあでも、浪人生活はあまり楽しくはありませんでした。今考えれば、浪人時代はあっという間の1年のような気がしますが、当時は一日一日が長かった。早くこの生活に終止符を打ちたくて仕方なかったですね。 そんなこんなで、無事、志望の大学に入学することになります。まあ落ちることは考えていませんでした。なんてったって過信の塊ですから(笑)。大学時代の話は、これまでも何回か記事にしてきているので、詳しくは書かないけど、今日は入口のところ、つまり入学当初のことを書きます。   僕は、大学は第一志望ではあったんですが、入学してすぐに、学校に本当に興味がなくなってしまいます。理由は2つあります。    ・・・ちなみに、ここまでの僕の人物像やこれから書く人物像は、メチャクチャ嫌なヤツなんですが、今ではいいヤツです(笑)。ムカツクかもしれないけど、あくまでも、僕の過去の棚卸を素直にやっているんだから、という広い心で読んでください。多かれ少なかれ、学生時代には、自分のことを過大評価することって大アリだから。・・・もっとも僕は、今でも過大評価してるけど(笑)。    と、ちょっと言い訳の予防線を張っておいて書きますが、大学に行かなくなった理由として、   ①同じ試験を受けて合格して、そして入学してきた同じ学年の奴らが、みんな頭悪く見えた。
②僕が受ける前年に、農学部の改組があって、旧9学科が統合されて、新3学科になり、学生は勉強しながら自分の希望と適性を見極めつつ、学科を決められるとのことだったのに、実際は違った。    ということが挙げられます。    ①については、これはどうでしょうか?こういう人っているんじゃないかなあ?でもここから先が問題で、学校の友達では物足りないから、アルバイトやサークル、その他活動で、色んな人と出会って、刺激を受ける!っていうアクティブ派であれば、全然問題ないし、むしろその方が自然なんでしょうが、僕は、ネガティブ派に陥っちゃった(笑)。俺の選択は正しかったのか・・・?って感じに。    実は、ここで壁にぶち当たるのも、過去にちゃんと伏線があります。僕はずっと田舎育ちで、観光とかでも、他県の人があまり来ることがなかったし、人口も少ないし、狭い閉鎖的な価値観で育ってきました。高校時代も、学校の教師に洗脳されて、生活の中心は、勉強だったし。ガリ勉とかっていうんじゃないけど、要は都会のように、例えばアルバイトをするとか、街へ繰り出して遊ぶとかっていう、文化もなければ場所もないって感じ。だから、やることって限られてくるんですよね。高校生活の時間を利用して、いろんな経験ができる状況じゃないから。    さらに、浪人して1年余分に費やして、志望した大学に入ってみたけど、実際にいるのは、高校時代に遊んでばかりだったとか、偏差値も全然良くないのに、たまたま受かったとか、高校では、部活もイベントもメチャクチャやってたとか、要は勉強以外のこともしっかりやって、青春を満喫して、大学に来ている。今考えると、僕なんかより、よっぽど視野も広く、幅広い経験を積んだ連中なんでしょうが、当時はそんなこと考えもしなかった。なんでこんなヤツらでも受かるような大学に来たんだろう・・・?って自己嫌悪の世界。さらに、僕の大学でのクラスは、東京圏の人間が多かったため、飛び交う言葉は標準語。最初は、これにも馴染めなかったんですよね。自分から溶け込んでいこう!っていう前向きな気持ちもなかったし、最悪パターンです。    それでも当初は、クラスの連中とも遊んだり、麻雀やったり、飲み行ったりもしましたが、楽しくないんですよね。いつしか疎遠になっていくのは当然の流れかなあ?って気がする。    そして②番目。時代背景としては、昭和から平成に変わり、ハイテク文化や、バイオテクノロジーという分野も徐々に発達しようとする時期。当時は、多くの国立大学で、旧態依然とした体制を、時代にマッチしたものに改変していこうという姿勢が見受けられていました。そんな余波を、ウチの大学も受けていて、ちょうど僕が、現役のときは旧学科、浪人してから新学科に移行したんです。僕は新体制の中で、いろんな視点から自分の適性と希望をジャッジできるんだと思っていたんですが、結論を言うと、僕の学年までは旧体制のまま。この辺は書き出すと長くなるし、批判めいた記事になってしまうので書きませんが、まあ要は、将来所属する研究室なんかも1年生の時点で、学校側に決められてしまった、ということです。これには幻滅してしまいました。    もちろん、これら2つの理由は、僕の自己中から出た産物です。僕以外の連中は、普通に学校に行って、普通に皆と勉強をして、決められた研究室に入った訳ですから、単なる僕のわがままなんだと思います。でも若かった僕のモチベーションを下げるには、十分な動機でした。ということで、最初の1年目で、スッカリつまずいてしまった訳です。つまづくというか、自分への問いかけですね。「今まで信じて進んできた歩みは、果たして正しかったんだろうか?なんでこの大学に入って、壁に当たってしまったんだろう・・・?」ってね。結局、これは卒業まで続く葛藤になります。     

▲PAGE TOP