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シリーズ 20 「集団モノ(面接・討論)から視えること」 GDのホンネ①

集団面接・GD
2017-10-04

 GDは、集団面接の一部である・・・このようにGDを捉えると、巷で囁かれているようなウワサや情報が、いかに誇張されて飛び交っているのか?が判ってきます。集団面接の選考が、いくら粗いとは言っても、面接官は、学生が話している言葉を、初めから終わりまでキッチリ聞くことができます。でもGDは、面接官が動き回っているので、実際には、学生の話は、端折ってしか聞けないのです。だから通常の集団面接より、もっと粗くなる、という結論になります。      以前、「ESシリーズ」 を書いたときに、その2回目 (←リンク)で、エントリーシートの歴史は浅い、と書きましたが、GDの歴史も、比較的浅いものです。僕は、ブログの展開上、会社サイドの本音や、思惑に軸を置いて本シリーズを進めてきましたが、それは側面的な見方。当然ですが、GDには、「どうやったら、学生の本質が見出せるか?」という命題をクリアにしたいという、会社サイドの本音が隠されていることは事実です。こっちの方が、正統派と言ってもいいでしょうね。もともとGDという選考形式が登場したのも、この正統派の命題解決を目指していたからです。何年もGDをやっているうちに、「時間」と「お金」の効率化に気づいた、と言ってもいいでしょうね。まさに副産物。        これは、僕のブログの中では何度か書いてきましたが、中途採用と異なり、新卒採用というのは、即戦力を採ろう!なんていうことは、微塵も考えてはいません。言ってみれば、未来を買う訳です。可能性とポテンシャル。だって、学生には仕事の実績がないんだから。        学生サイドに目を向けると、就活は、過去の先輩たちの就活経験を見聞きして、どうやったら内定をもらうことができるか?っていうノウハウを得て、だいたいの人が、このノウハウに沿って攻め方を考えていると思います。だから、自己PRや志望動機を丸暗記して挑んだりする訳です。        面接はコミュニケーションである・・・これは、ほとんど全ての就活本に書かれている見解だし、僕も何度か書いたことがあります。これは真理だから。でも悲しいことに、学生にとっては、真理になり得ないんです。だってねえ、面接って、どうやっても緊張しますもんねえ。あんな空気がピンと張り詰めた空間に、慣れないスーツを着て、座り方にも気をつけて、使い慣れていない敬語丁寧語を用いて、そういった状態で、自分の本質を面接官に伝えて、面接官の言うことを理解して・・・これは至難のワザですね。        しかも面接官って、怖そうなオッサンが多いでしょ?コミュニケーション取れ!って言ったって、冗談言うわけにもいかないし、中途半端に回答したら、突っ込まれるのは目に見えてるし・・・。だから学生としては、コミュニケーションを取るということより、回答は、噛まずにスラスラ言わないと!というふうに考えて、だからこそ、自己PRや志望動機くらいは、スラスラ言えたほうが、評価が上がるんじゃないか?って考えて、暗記する訳です。恐らくほとんどの学生が、こういう理屈のもと、自己PRと志望動機を丸暗記、って感じでしょう。        これは、面接の攻め方としては、間違ってはいないのですが、会社サイドは、学生が暗記してきたコメントを聞いても、それだけでは不安です。「まあその回答は、自分なりに考えに考えて、そして練りに練って出てきたものを、暗記しているんだろうから、間違ってはいないだろうけど、暗記では人物像が見えないなあ。ちょっと色々聞いてみるかな?」ってことで、突っ込んだ質問に発展していく訳です。まさに、ここからがスタートです。        なぜ突っ込んで質問するか?というと、それは新卒採用は、可能性とポテンシャルを見極めなければいけないからです。ウチの会社に果たして合いそうか?費用対効果はありそうか?なんていうことを、面接の場で判断しなければいけないからです。        しかし、短い面接時間の中では、猫を百万匹も被った学生と、真のコミュニケーションを取ることが、現実的には難しい以上、いくら人事のプロでも、どうしても見分けがつかないことだってあります。可能性とポテンシャルがある、と見込んで採用した学生が、実は、会社の文化や伝統、仕事スタイルには全く合わなかった、ってことがね。        こういった不幸を回避する方法はないか?ってことで、考え出された選考手法が、GDって訳です。学生同士という、上下関係がない中で、自由に議論させることによって、多少の喜怒哀楽が出てくるのではないか?普段の人間性に、限りなく近いものが出るのではないか?テクニックを身につけて臨む面接では出てこないような、その学生の本質が浮かび上がってくるのではないか?って考えた訳です。導入された当初のGDはね。        自由に議論させると言っても、勝手に議論されても、グループによって判断基準が曖昧になるので、一定のルールを定めたのです。テーマを統一させたり、役割を決めて、秩序と統制を保ったりね。        GDについての詳しい見解が載っている就活本や、ネットから拾えるGDの、専門的で且つ読んでいてイヤになってくる情報っていうのは、実は、この導入当初のGDの狙いや、意義だけを見て書かれている場合が多いんです。新卒採用のステップにGDが導入された当初は、それはそれは画期的でした。だって、学生同士で議論させるなんて、考えてみればスゴイ手法ですもんね。        その画期的な手法には、こういう狙いがあるんですよとか、GDっていうのは、対人能力や折衝能力が見られているんですよとか、それはコンピテンシーの見極めにつながってるんですよとか、ビジネスを見据えた議論なんだから、相手の意見に、まずは同調した方がいいんですよとか、イヤイヤその逆ですよとか、役割には、こういう意図がありますよとかといった、様々な情報たち。これらは全て、導入当初のGDを分析した見解です。        でも、ハッキリ言いますが、GDっていう選考手法は、導入当初の狙いや意義からは、かなり方向転換されています。その方向転換の一つが、新卒採用を効率的に行おう、つまり「時間」と「お金」を効果的に使おう、というコンセプトの確立という訳。むしろ今では、こっちの方が占める割合としては、大きいんじゃないかな?        こうやって、GDの考え方も変わってきているというのに、歴史が浅いがゆえに、過去の色んな見解が未だに葬り去られずに、はびこっている訳です。GDを、いたずらに難しく捉えているウワサや情報には、この最近のコンセプトの分析が、スッポリと抜け落ちている場合が多いんです。このコンセプトを分析すると、今の学生がGDで気をつけなくてはいけないポイントは       ①空気が読めない人
②自分で作ったストーリーに固執するヒト
       にならないこと。この2つに集約されることになります。どっかで見ましたねえ?そう、集団面接でのポイントと全く同じなんです。一方で、GDは集団面接よりも選考が粗くなると書きましたよね?よって、この2つについても、集団面接と同じことが言えるんです。       続きます。    

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