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シリーズ 7 面接における『本当の自分』と『ありのままの自分』 余所行きモードの自分とは?

自分の出し方!
2016-09-12

前回、余所行きモードという話をしました。この余所行きモードっていうのは、そもそも何でしょうか?
 就職した後、社会人として働く時はもちろんなんだけど、大学生活の中であっても、毎日の生活というのは基本、人と人とのコミュニケーションの中で成り立っています。ということは自分の周りには、絶えず人間関係があるということですね。
 簡単に言っちゃえば、人間関係を成立させているものって、お互いが余所行きモードであるという要素です。
 では、反対に余所行きモードじゃない自分というのは、どういう状態のことを言うのでしょうか?
 余所行きモードの自分が、他人との人間関係の中に存在しているということは、余所行きモードじゃない自分というのは、自分ひとりの時の世界の中にしか存在しません。
 ・・・って、難しいこと書いてすみません。要は邪心ね。自分自身が「本当の自分である」と認識している自分とは、内側の世界である心の中だけにいます。心の中で勝手に思うことっていうのは自由だからね。
 そういう意味の「本当の自分」っていうのは、例えば街を歩いていた際、可愛い女の子を見て、声かけてナンパしたいなあと考えたり、友達と普通にしゃべっている時に、この子より私の方が絶対に性格いいわ!って考えたりする自分っているでしょう?
 自分自身で考える「本当の自分」というのは、この内側の世界に広がる邪心が常にベースになっています。邪心をそのまま出していると、人間関係が円滑に進まなくなるので、みんなどこかで余所行き、外面モードになってしまうわけです。
 自分の邪心と余所行きモードの自分を切り分けているのが、理性とプライドいうフィルター。動物と人間の決定的な違いの一つが、この理性とフィルターです。動物はお腹がすいたら食べ、眠いときに寝て、という憧れの生活をしているけれど、人間は、理性があるから場面に応じて我慢しないといけない。そしてプライドがあるから相手に見下されず、対等に接しようとしてしまう。
 この、理性とプライドというフィルターを通せば、人は誰でも必ず余所行きモードの自分になってしまうんです。だって内面や邪心から出てくる言動の自分と比べると、どこかで自重してるはずだからね。
 ということは、どんな人であっても、コミュニケーションというのは基本、余所行きモードの自分が出ているということになるんですよね。まれに邪心丸出しのネタを振るかもわからないけど、それは、あくまで会話の流れの中で、冗談っぽく話すものであって、あとは気を使いつつ、相手の出方を伺いつつ、っていうのがパターンです。
 まずは前提として、会話の本質は、すべて余所行きモードであるということを理解しておいてください。
合コンの会話だったのに、今回は理屈ばかりになってしまいました・・・。

つづく。

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